最後のなみおか映画祭が明日から始まります。ちょっと心配ではあります。午後から会場作りです。スクリーンを張り、階段状客席を建て込む。映写機テスト。そうだ、シネマフォーラム用のビールやお茶の手配もしなければ。その前に車椅子の手配も。
お客さんは来てくれるのかしら。まだ挨拶をしていない近くの喫茶店に行って、ポスターを貼って貰おう…。
この日記も今日でひとまず中断します。ただし、映画祭の模様はデイリーニュースによって毎日お知らせしますが、会場に来られない方々のために、このHPにおいても配信する予定です。デイリーニュース編集長の品川さん、そして編集局員の小畑、小杉、田村、内山さん、よろしく頼みます!
「映画芸術」の神代辰巳追悼号(1995年夏号)では、19日から映画祭にお見えになる澤井信一郎監督による『嗚呼!おんなたち猥歌』についての映画評も載っています。
最近、映画の話をしていると、ついここが面白くなかった、あそこが悪かったと、否定的な言い合いが多くなりますが、あそこが面白かった、ここが面白かったと言える映画を撮ったということでも、神代さんはたいしたもんですね。映画監督の一生で、ここが面白かったって楽しく語り合って貰うのは、そう沢山あるもんじゃないですからね。神代さんの作品は、追悼号じゃなくてもここが面白かったって語れる映画多いものね。(談)
そんなわけで、澤井監督は当映画祭公式カタログでも、「映画芸術」編集長でもある荒井晴彦氏と鈴木一誌氏を交えて神代作品について存分に語ってくれてますが、それでも足りない。今度はなみおか映画祭において皆さんと一緒に、心ゆくまで神代映画の面白さを語りつくてもらいましょう。
「映画芸術」の神代辰巳追悼号(1995年夏号)をパラパラめくっていたら、山田宏一氏が『四畳半襖の裏張り』についての作品評を書いていました。ついつい引き込まれて読んでしまいました。ちょっとだけ引用させてください。
「十日間、750万円で」というロマン・ポルノの厳しい撮影条件の中で、「わりと気楽に遊んじゃった」…という神代辰巳作品だけあって、どんな画面からも、ここはこうやったらおもしろいぞといったような作り手の即興に近い衝動的な意欲や喜びが伝わってくるかのようだ。長回しのキャメラによる持続した緊張感のなかで、シネマスコープの横長の画面の片隅に泣くシーンなのにくすっと笑っている女優がいると言ってフランソワ・トリュフォー監督がひどく面白がっていたものである。早撮りをしてフィルムの無駄遣いもできないので撮り直しがきかなかったのだろうが、じつはそのほうが画面にいきおいが出て、人物もいきいきとしている、ジャン・ルノワールの映画みたいだ、と。
この、「ジャン・ルノワールの映画みたいだ」とのトリュフォーの言葉は、「男のエゴイズムと愚劣さに対して、女の寛容さと美しさを描いた」神代辰巳作品に対する讃辞でもある、と山田氏は解説しています。
いいですねえ。
この日記を二日間もお休みしてしまったために、映画祭まであと五日に迫ってしまいました。ここに来てとうとう息が切れてしまったのか、と思われるのは悔しい。
実はこの週末、金沢で行われた「コミュニティシネマ/上映者ネットワーク会議」に参加していました。会議ばかりではなく、同時開催された金沢コミュニティシネマ映画祭にも顔を出し、タイの新星アピチャートポン・ウィーラーセータクン監督の映画を3本見てきたのです。なかでも『ブリスフリー・ユアーズ』はすごかった。2002年カンヌ映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞したとのことですが、たゆたうごとく時間が揺れ動いていくその語り口に、ワイズマンの『臨死』とは違う意味で、「映画よ、終わるな!」と叫びたくなりました。
これだから映画は怖い。いつ、どのようにして私たちを襲ってくるかわからないのが映画なんですね。
もしもあなたが神代作品について未見であるならば、今回見るであろう何本かの映画の中で、吐胸を突かれる瞬間をきっと体験するに違いありません。
もしあなたが、『臨死』は見たいけれど6時間だし…、と躊躇しているのでしたら、絶対見るべきです。あれよあれよ、といううちに6時間は過ぎていき、最後は、「え、もう終わりなの?」と思うこと間違いなしです。
たとえば、よく聞くインフォームドコンセントという言葉がありますが、なるほど、こういうことなのか、という思いに駆られるし、と思うと、お医者さんと看護士さんがああでもないこうでもないと口から泡を吹いて議論する場面などは、そこら辺のサスペンスドラマなんか目ではありません。
だまされたと思って、あなたの6時間を私たち映画祭に預けてください。